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2008年05月06日

タゴール・幸福の歌


 私のこの歌は ほんの一瞬にすぎず
心の近くまできて すぐ消えてしまうものなのでしょうか


私の心の言葉 眠れない苦悩は
ただ ためいきのように 漂ってゆくのでしょうか


この歌がいつもあなたを取り囲み
真実の道の上で あなたの名前を呼ぶように


人生の喜びや悲しみにつけ
あなたの顔をみつめ
永遠の祝福のように 近くにあるように



孤独なとき 友となって
いつもあなたの 心の希望をきくように


人生の荒野で あなたが泣いているのをみたら
悲しみの息を 分かち合うように


人生の誘惑が 蜜をまぶした毒の言葉で
弱い心を襲う時


この歌の調べが あなたの心を満たしておくように


神秘的な呪文のように
いつもあなたの耳元で 鳴っているように


わたしのこの歌が  とても長い人生で
あなたの衣服となり 装身具となるように



世界の埃の網から遠ざけて
あなたをいつもきれいに
美しくしておきます


わたしのこの歌が 自由であるように


やさしい風になって 羽を広げ

甘い香りのように
あなたを盗んでつれてゆき

天国の境界が どこにあるかを見せにゆきます



この歌が あなたの北極星となり
暗闇の中で じっと輝いているように


あなたの顔の上で 
愛に充ちて いつも目覚め
目を見開かせて 岸辺を見せてくれます



わたしのこの歌が
あなたの耳に入って
みんなのこころに 溶けてしまうように

温かい血のように
頭へ休む間もなく流れ


喜びで 気高い歌となり
踊りだす


この歌が 瞳になって
あなたの目のなかに生き
あなたのなかでよみがえるように



この歌が 絶え間なく
新しい命をさずけるように

この歌が 人生の中で 命となるように




もし わたしが いってしまったら

もし 死が呼んで 連れていったら

この歌に 私の愛に満ちた目を 託してゆきます


ああ   すべての歌が終わりになっても
この歌の中に わたしは生きつづけますように
 




 タゴール「幸福の歌」より 抜粋  

Posted by おはな at 21:48Comments(0)

2008年05月06日

シヴィリティー

礼儀(シヴィリティー) とは 立居振舞の美である。



その完璧な成就のためには、
忍耐 自制 
ならびに 閑暇に富む環境が要求される



なぜなら、本物の礼儀というものは
絵画のごとく、音楽のごとく、一種の創造なのであるから。



それは声音、身振りと動作、言葉と行為の
調和のとれた混合であり、
そのなかに、日頃の行状の鷹揚さが
自然に表現されるものである。


それは人柄そのものをうかがわせるものなのであって、
裏の目的などはまったくない。



 タゴール 「詩人の宗教」より抜粋

  

Posted by おはな at 21:20Comments(0)

2008年05月06日

野いちご狩り

家のうらのやぶに野いちごが鈴なりになっているのを発見
家族総出でイチゴ狩りがはじまった



ヘビでそうだったけど、
お父さんが勇敢にも藪をふみわけて
道を作ってくれた。

そのときの父のいままでになく頼もしい背中・・
母のこれまでになく真剣な横顔・・・
奇声をあげて喜ぶ姉・・・
林家パー子ばりに写真をとりたくる私・・


結果 3キロ近くの野いちごがとれた☆




「うーん これがゴールデンウィークで一番楽しかったね」
と言い合いながら ゆうごはんを食べた。


これで野いちごのムースをつくります☆イエイ!  

Posted by おはな at 21:08Comments(0)

2008年05月06日

GW

きょうは25メートルプールでおよいだ。
みずに浮かんでいるとすごくきもちがいい。

底にうつってゆらゆらゆれいる模様がきれいで
うっとり ぽけーっとおよいでいた。


潜水したり 背泳ぎしたり・・・
ビート板使ってバタ足したり
息継ぎなしに挑んだり 前転したりバク転したり
ダイエット体操をしてみたりと。

うーん すいえい好き!





びしょびしょの頭で味噌天神におまいりしたあと
BOOK OFFでなんとなしに本上まなみの写真集を手に取った。

か、かわいい~!


マティスの画集とレオナルド・ダ・ヴィンチの画集が
それもめちゃいいのが100円だったので即買い


満足したところで
ん~ じゃあ、せっかくだから熊本城でもみにいくか~
とおもって ちらっとみてきました。

あの新しい建物。



かえり
スタバで、ラテとレモンケーキ
わたしはいつでもレモンケーキ。
レモンケーキおいしい~ べたべたすっけど。

ボルケーノもこのあいだおねーちゃんとたべたけど
すっごくおいしかった☆


スタバの店員さんはみんなてきぱきとしててだれてなくて
接客がすばらしいのでいくといい気分になる。



かえったら猫が玄関でまっていた。
にゃおん とすりすりしてきた。
しあわせないちにちだった。





  

Posted by おはな at 02:48Comments(0)

2008年05月06日

現代詩について 2

自分は沼に、泥沼に住んでいる 
というような詩が 現代詩。




宇宙に対する不信感と誹謗に満ちた態度は
急激な変化がもたらした精神異常である。




世界を嫌っている人が書いた詩が現代詩といっても良い。




過去の詩と違っている点は、
心に描いたバラ色の夢の世界に陶酔しよう
とする欲望がまったくないことだ。



そこで。

純粋なモダニズムは宇宙をじっと見つめることにある。


それは個人的自負に満ちた態度で
自然をみるのではなく、
非個人的に、ありのままにみることである。


この見方は晴れやかで、しかも純粋であり
一点のかげりもない幻想に見られる
本当の喜びである。




現代科学が冷静に現実を分析するのと同じく
詩もまた宇宙を全体として見つめるのであり
そこに永遠の現代があるのである。



しかしながら、
実際にこれを現代的というのはナンセンスである


自然で、しかも超然とした態度でものを見ることは、
なにも特定な時代に限られたものではない。




それはありのままの大地を見ることのできる
すべての人たちに共通の時代である。




中国の詩人である李白が詩を書いたのは
千年以上もむかしのことであるが、
それでいて彼は現代的である。



彼は大きく見開いた新鮮な目で
宇宙をじっと見ていたのである。



 タゴール 「現代詩について」より 抜粋  

Posted by おはな at 02:05Comments(0)

2008年05月06日

現代詩について

現代詩は一種の精神異常にある。
それを認めるべきである。


これはひとつの幻覚であり、
そこには冷静で落ち着いた精神状態で
現実をごく自然にうけいれようとする真面目な努力が見られない


このような攻撃的態度や
気まぐれで破壊的な挑戦的精神が
現代の特徴である


と 多くの人たちは考えている。
わたしはそうは思っていない。


たとえ何千人の人たちが今日風邪をひいているとしても、
風邪が現代の自然な身体的症状であるとは考えられない。



ごく自然な、身体のあるべき姿は
風邪を超えたところに存在する。


現代詩は皮肉である。
ありのままの大地を見ることができないでいる。


詩人でさえも、火葬場の空気に汚染され
わたしたちが偉大であると考えているものを

「腐敗している」 と言い、


わたしたちが美しいと賛美しているものを、
その中には手を触れるのも汚らわしいものが含まれている
というほどに現代という時代は退廃しているのであろうか。



ヴィクトリア朝 中期の人たちは、現実を尊重し、
それに敬意を払った。

現代人は現実を軽蔑し、
品位の衣をすべて脱がせてしまうのが
現代である と考えている



自然でないものは 永遠ではない




科学においても、芸術の場合と同じように
超然とした心が最善の意志伝達手段である。


現代詩、すなわち科学時代の詩は
言葉の節約に取り組んだのであるが、

その過程でのもっとも大きな損失は、
何と言っても言葉の装飾であった。


韻やリズムや言葉の選択について、これまでのような
きめの細かい心遣いはほとんど必要なくなった。


しかしこのような変化は
決してスムーズに行われていたわけではなく、 
過去の魅力を払拭するため
積極的な過去の否定が流行するようになった。


それはあたかも、庭の垣根を乗り越えて、
選択の意志が忍びこむといけないので、
割れたガラスの破片を垣根に並べ、
屋敷の美観をまったくなくしてしまったようなものであった。



自然に詩の中に導入されているのではなく、
誰かの批判、攻撃を恐れて
あたかも故意につまさきで歩いているようなもので、
それが現代的であるかもしれない。


モダニズムの考え方の合言葉は、
「美ではなく真理」

芸術の機能は心を魅了するのではなく
心に克つことである と言った。



いわゆる観察  
美しいものもあれば醜いものもある。

あるものは有益であり、
またあるものは有害である。

しかしながらそのいづれをとってみても
創造の世界から抹殺するいかなる理由もないのである。


それは文学においても、
また美術においても同じである。




タゴール 「現代詩について」より 抜粋  
この文章のつづきは 「現代詩について 2」で紹介します。  

Posted by おはな at 01:51Comments(0)

2008年05月06日

現代について

現代人は自分の籠をつくるのに忙しく、
「物質」とよばれる怪物への依存度を高め、
その物質とゆう籠に周辺を囲まれて生活を営んでいる。


人間は常に死角に自分を置き、
その死角という範囲に自分を限定し、
死角の一部になってしまうのである。



文明人は正常の人間が営む生活軌道を遠く離れている


現代人が倦怠感や厭世に悩み、
周囲に対して理由なく反抗し、
それで苦しんでいるのをみかけるのは少なくない。


現代の非常に複雑な社会においては、
機械的支配力が効率的に組織され、
物質的生産がさきに立って人間本来の姿が失われ、
それを阻止する力が追いついていかない。


このような節度のない物質文明の発達は
茂りはびこる熱帯植物のように、
そのなかに人間を閉じこめてしまうのである。


鳥籠は複雑で 金がかかり、
しかも籠の外との関係がなく、
あまりにも耐え難い状況を作りだす。




  タゴール 「社会論」より抜粋
  

Posted by おはな at 01:20Comments(0)

2008年05月01日

教育の問題

西洋では、学校は子供の精神的発達のうえで
小さい役割しか果たしていない。

大きい役割を果たしているのは、
子供の育つ社会の生活そのものである。


西洋では、教育は実際生活から遊離しているどころか、
その不可分の一部となっている。


教育は社会のなかで生まれ、社会の中で育ち、
社会の中で生きて働いている。


そして人々が日常生活の中で話したり、
考えたり、行なったりすることにおのずとにじみでてくる


学校は、社会がその長い歴史の間に、
多くの人々がいろいろな活動をとおして獲得してきた文化を、
次の世代に伝えるひとつの手段にすぎない。


これに反し、わが国の学校は、
社会と完全に一体化しているどころか、
むしろ外側から社会におしつけられたものである。


学校の教える教科は退屈で無味乾燥であり、
憶えるのに骨が折れるばかりか、
やっと憶えたときには何の役にも立たない。


十時から四時までの間に生徒たちが詰めこみ勉強で憶えたことと、
彼らが実際暮らしている社会との間には、何一つ一致点はない。
むしろ多くの不一致点がある。


学校なるものは、ほとんどロボット製造工場の域をでないのである。


そうゆうわけだから、たとえわれわれが西洋の学校の外形を完璧なまでに模倣することに成功したとしても、その実体は何一つつかむには到らないだろうことは明らかである。

われわれは机だの長椅子だのを買い込み、
規則や教科過程などをつくって自ら重荷を背負いこんでいるが、
そういったものは、しょせん、どんなに正確な模倣であっても、西洋の学校の模倣に過ぎない。



今日という時代の要求を少しでも理解するなら、
われわれがこれから新しくつくる学校はすべて次の諸条件を満たすようにしなければならない。



まず第一に、その諸教科が、生き生きとしてかつ多種多様であること。


次に、知性ばかりでなく感情をも養うものであること。


さらに教科がばらばらに分裂し、
あるいは不調和であるために、
青年たちの精神が引き裂かれるようなことがないこと。


そしてまた、その教育が生徒たちにとって非現実的で、抽象的で、重荷で、学校にいるわずか数時間の間しか自分たちに関係がないものにならぬこと などである。




  タゴール 「教育の問題」より抜粋
  

Posted by おはな at 14:12Comments(0)

2008年04月29日

みちゃった

わたし、今日までUFO信じていませんでした。
でも、さっき、それっぽいのをみてしまった・・・・ 





いや・・・ でも、おもしろかった~
動きがおもしろかった。
てか、可愛かった!


最初、そらをみていたら、ちーさい星がうごきだしたので
「人工衛星だろう」
とおもってみていたのだけど、どうも違う・・・

ツツー っとうごいて 消えて、 
「あれっ」とおもってさがしたら延長線上のさきーのほうにしれーっと移動してて、みてるうちにまたスッと消えちゃった・・・

 
ま、まじで?


んーまさかぁ・・・ 
こんなこともあるんか・・・
びっくりでした。
お酒はいってないし。



流星群の流れ星じゃないのか とおもったけど
流れ星って ぽろろん って一瞬でいくのに それはいかなかったんです・・・


子供のころ金峰山に、でかい火の玉がゆっくりおちていくのを家族全員でみて以来のびっくり。



そのむかし
「宇宙の言葉はテレパシー テテテテテテテテ テレパシー」
とかゆう奇天烈な歌がそのころのみんなの歌かなんか?でやってて、
学校でえらいはやってて、おねーちゃんたちと踊って歌ってたときに火の玉が降りてきたのをいまでもはっきりとおぼえとるけど。

あれは目撃者多かったらしくて、確か熊日に写真が載ってたっけ。




んー・・  
今日見たものがなんなのか、答えはだせない・・
けど、見たものがすっごいおそろしいものではないんだということだけわかった。



・・・これ以上かんがえだすとわけがわからなくなって頭がいたくなるので
一切かんがえんとこ。



でもほんとおもしろかった☆またみれたらいいな~  

Posted by おはな at 23:39Comments(0)

2008年04月27日

Dimanche

ひまだったので街のツタヤでフォトアルバムをかってきて編集



うまれてから今日までの流れを一冊に凝縮して、自分が撮影したともだちの写真も数ページにまとめて貼ってみたらものすごく(自分的に)おもしろい思い出アルバムができた。


いろんな出会いがあったな~ とか
こんときゃたのしかったな~ とか   
○○ちゃん元気してっかな~ とか

アルバムって、すきにつくれる 自分だけの写真集なんだなぁ



卒業アルバムってなんか物足りない。とずっとおもっていたので
やっぱり自分だけの思い出の塊を作っとくって大切なんだなあ 
しなさすぎだった・・・ とおもいました



これをみればいつでも子供のころの感覚がよみがえる。
そうゆうものがあるってすごく大切なんだな~と

あえて浮かない顔の写真とか、いじめをうけていたころの写真とかも
そうゆうのも貼って、そのとなりに今の笑顔の自分を貼ってみたりして。


見比べると時間の経過がおもしろい。
なんかそーゆーことしてたら時間があっとゆうまにすぎてしまった

  

Posted by おはな at 18:36Comments(0)

2008年04月22日

すずめの鉄砲

ビービー と虫が絶え間なくないている
なんだか、あたまがぼおっとなってしまう。



今日は夏のようなあつさ
半そでの時期がやってきて嬉しい。



庭の紫陽花が庭の片隅でしずかに葉を茂らせている


畑の片隅では黄色い芥子が満開。


スイートピーのつるがどんどんのびて花が咲き、りっぱな豆がたくさんぶらさがっている。


スズメの鉄砲が生えていたので久々にピーピー吹いてみる。



庭中の植物たちが解放された様な感じでぐんぐんぐんぐん成長している
それをみているのがうれしい。



この四月の終わりから梅雨に入るまでのこの期間 すきだなぁ
  

Posted by おはな at 21:47Comments(0)

2008年04月20日

不動岩

  きょうはいい天気だった
そらをずっと見ていたような気がする

あー きれいな空だった
早くも夏の気配がした


夏に備えて朝から庭にトマトとナスとゴーヤの苗を植えた
北署前の種苗店で買ったのを。





ひるすぎから山鹿にもいって 有名な日輪寺の躑躅をみてきた
きれい。可愛いおじぞうさまがいた 
あと、巨大なおじさんがいた。何故?


寺の楼門に登って弾が貫通した穴をのぞいてきた。


あと、馬刺しを大量買い
馬刺し祭りをした。



馬だけに うまかった。




行きも帰りも不動岩の前をとおったけど、
あれは何度見ても いろんな意味でかっこいい存在だなぁ
とおもうのでした。


こんどまたのぼりにいこう。
  

Posted by おはな at 02:41Comments(0)TrackBack(0)

2008年04月13日

部屋のかたづけ

この一週間 わたしがほぼ毎日していたこと
「部屋の片付け」


つ、つかれた・・・掃除はエネルギーがいる・・・
が どうにか持ち物が半分くらいに減ったので部屋がすっきりした~


あとは写真の整理
久々にちゃんとしたアルバム作りでもしようかな

こどものころからのしあわせな写真だけを特選したアルバムをつくろう




お、そろそろ夕ごはんのしたくばせなん。
  

Posted by おはな at 16:40Comments(0)

2008年04月09日

贈り物

あなたに愛の贈り物をあげたいけれど  
いったい何をあげようかとかんがえている


あげたい気持ちは たくさんあるのだけれど
いくらさがし回ってもみつからない


わたしのもっていたものは みんなが奪っていってしまった。


今どのくらいの宝が残っているか
そのことは言わないほうがいい


金 銀 ダイヤモンドの宝石が 土に埋めてあったけれど
宝石商たちがそのことを知り 自分の家にもっていってしまった


お金は貨幣鋳造所にたくさんあるけれど
取りに行くのは危険だ


洋服や装身具は大きな鉄の箱に入っているけれど
見張りがついている


わたしたちが住んでいるこの世界は
とても悲惨な有様だ


ごまかしごまかし生きつづけ この世を去れば
忘れられて すべておしまい


それがこわくて 思い出の形見を
できるかぎりみんなに渡してゆく

それもほんのわずかで多くは毀れ
多くは無駄になってしまう



もし 愛を残しておくことができれば
もしも 愛が 目に みえれば
たくさんのものをあなたにあげることができたろうに



それで どんな宝をこっそりとあなたにあげようかと考えている
あなたが喜び わたしも喜べば それでめでたし


なにかをあげてあなたの心を永遠に買っておこう なんて
そのような考えは わたしにはない




そのための 魔法も知らない




新しい人生
長い道があなたの前につづいている



わたしたちがあげられるだけの愛の甘露を
全部飲み干して
友たちとともに 新しい希望
美しい願いをもって走っていきなさい


わたしたちを忘れても
逢う時間がなくても
それはそれで かまいはしない

わたしたちの歳になると
こころに思い出す時間が充分ある



会うことはできない人たちも
心の中では いつも生きている



川は石の妨害をものともせず
おもいのままにまっすぐ 歌をうたい
両岸をかすめながらいろんな国へと流れてゆく




山からの愛を受け 滝となって流れでた川は
山を離れ 毎日 遠くへ遠くへと
はるかな海にむかってゆく



動かない山は 小さい川のことを
いつまでも覚えている


どれほど遠くへいっても
その愛の流れは
早い足どりでついてゆく



それとおなじように あなたがわたしのことを
思い出せるか 出せないかは関係なく


わたしの祝福の泉は
あなたのあとから 流れてついてゆく




「タゴール詩集」より抜粋   

Posted by おはな at 16:57Comments(0)

2008年04月07日

あたまがいたい。
半袖でうろうろするんじゃなかった・・・
 
もうねよう。




  

Posted by おはな at 20:09Comments(0)

2008年04月04日

石牟礼道子さん

今、石牟礼さんの「不知火」 読み中
「学生諸君!」まじでおもしろい・・・学生必 読☆


きょうもきのうもえづこサンポ  
江津湖はええところじゃ・・・・人間にもどれる感じがする。



こどもたちが笑顔で鳩をおっかけまわして遊んでいた
うっとりと佇んでいるおばあちゃんがいた
紐のついてない犬がにこにこ散歩してた
みずがコポコポ湧いていた


ああ なんという安らかさ
江津湖フォーエヴァー


あわぶく 湧くみず
煌き ながれる


なんという 穏やかさ
春のとろけるような光

満開の桜
ひとり花見にひとり酒  あなあはれ・・・

  

Posted by おはな at 22:37Comments(0)

2008年03月31日

ミョウバン洗顔

ともだちが貸してくれた本に、ミョウバン洗顔てゆうのがのっていた。
ミョウバンなんて、小学校の理科の実験以来ふれてない。そもそもミョウバンてなんなの~?とおもって

読むと、ミョウバンてのはタンパク質を収斂する作用があるので、カリカリ梅とか、きゅっとしまったナスの漬けもんとかワラビとか料理するときにつかうものらしい・・・  はじめて知った。目から鱗。


「収斂作用とは、たんぱく質を変性、凝固させてひきしめる作用のことです。
皮膚のいちばん表面の部分である角層は、おもにケラチンとゆうたんぱく質で構成されています。
ミョウバンの収斂作用が、ケラチンを硬くすべすべとしたものに変性させて引き締め、皮膚の上に緻密な保護膜を作ります。その結果皮膚の防壁性(バリア機能)が高まり、外界からの有害な刺激が伝わりにくくなります・・・」

 
「嘘かまことか~」とおもいつつ
ドラッグストアでミョウバンかってきてお湯で溶かして原液をつくり、薄めて洗顔したところ、これがまた非常によかった。


刺激は一切なくて肌がきゅっとひき締まる感じ
つっぱるか・・とおもったけどそうでもなく。

「そうか、わたしの体はたんぱく質だったんだ・・・」とあたりまえのことにおどろいた。
ミョウバン浴もしてみたら全身がぴっと引き締まった


これは面白い!とおもって、ついでにグリセリンと尿素も買ってきて、本に載っていた「美肌水」をつくった。
これは簡単すぎてやばい。
もう一生化粧水買わなくてすむ!とおもうほど最高のつけごこち。

これが世に広まったら化粧品会社が潰れるだろうな~とおもった。



なんだ、化粧水の原料なんてメチャ安いんだ・・・
しかもこんなに簡単なんて・・・これをいままで高い金払ってきた自分って一体・・みたいな
そんな目からうろこで肌つるつるな今日一日だった。  

Posted by おはな at 23:31Comments(0)

2008年03月30日

とりとめもないこと

雨の日はしずか
気が静まっているのでぼんやりと思考しやすい。

このところまいにち読書していたら、活字慣れしてきたのか読書のスピードがあがってきて、内容もちゃんとはいってくるのでおもしろい。
そういえば小学校のころは読書クラブ(笑)にはいって本を読みあさっていたっけ
読書クラブっつっても、みんなただひたすらもくもくと黙って好きに本を読むだけだったなぁ・・・



むかしもいまも本がいちばんの友達


わたしにとって、良書とであうことは、親友ができるのといっしょなんだ、とさいきんおもう。
たとえそれを書いた人がもうこの世にいなくて逢うことがないとしても、その人の心が文字の中にいきいきと生きていて、語りかけてくれる。

読書はたのしい。  

Posted by おはな at 16:14Comments(0)

2008年03月28日

無邪気

うただひかるさんの新アルバムを聴いている。


Stay Gold

この曲を聴いたとき、むせび泣きしちゃった


うたださんの曲が流れると、空気がきらめく。
そんな気がする。



きょうもいい天気
きっといいことがいっぱいある
なんにも心配いらない。

  

Posted by おはな at 13:04Comments(0)

2008年03月25日

シャンティ・ニケタン

わたしは何度でも繰りかえし申したい。
見かけはいくらいかめしく重々しくても中身の空虚なものなど我慢がならぬと。

わたしは信じる。
音楽が心を充実させるようなものであるなら、旋律もリズムも、洗練されたものになるはずだと。

形式の洗練は精神の充実の証拠である。
酔っ払いの騒々しい馬鹿騒ぎなどでは洗練など問題にならない。

心に本当の感情があるなら、その表現はむしろ控えめでつつましくあるはずだ。


洗練されたつつましさにこそ、本当の意味での重々しさがある。
豊かさの女神と、いかなる富も求めぬ無一物の神との融合こそ真の結合である。



ある時、わたしは日本にいた。
日本の古い文化の一部に触れたとき、わたしは深い充実感を覚えた。
 
誇張とか、余計なものとかは跡だになく、それは美意識の並々ならぬ深さを証明していた。


古代日本人の衣装、遊戯、家屋、家具、優雅な作法、宗教儀礼・・・
それらすべてに一つの支配的な理念が一貫しているようにおもわれた。

まさしく、この理念をこそ、古代日本人はそのすべての才能をあげて、
あのようにさまざまな、かつ麗しい形に表現してきたのだった。


たんに何もない空虚さなら、余計なものの過剰さと同じくらい無意味だ。


わたしがもっとも感動した古い日本文化の一側面とは、
たんに何もない空虚さでもなく、また余計なものの過剰さでもなく、その充実感であった。


心にこの充実感があればこそ、人は隣人たちに門前払いをくわせるかわりに、
逆に彼らを自分の家に招きいれ、もてなすようになるのだ。



中略・・

わたしは何も鉄道や電信、機械や工場を廃止せよと言っているのではない。
それらは必要である。

だが、そうゆうものはわれわれに何かを語りかけるということがない。
大宇宙の旋律に照応するものがない。
人の心の求めに答えるものがない。


人間が生活上の必需品だけに駆り立てられている間は、
その必需品を得るために道具をつくる。

これに反し、心が充実していると、人間は不滅の自己を顕わす。


必需品と道具の世界は嫉妬と悪意を育み、垣根と番兵を生みだし、
他のひとびとの犠牲において自己を拡大すること。

そして結局は戦争をうみだす。


これに反し、人間が自分の魂の本質を顕わすことによって永遠を味わうような世界は、
思いやりと、友情と、平和をうみだす。






「タゴール全集 人類の一体性と教育」より抜粋  

Posted by おはな at 01:10Comments(2)

2008年03月25日

タゴール

離れている孤独のかなしみが
世界中に拡がり 
無限の空に 数限りない形を生まれさせている


離れている孤独のかなしみが
終夜黙って 星から星をみつめ
七月の雨の闇に 
音立てて鳴る 木の葉の詩となる

どこまでも拡がる この痛みこそ
深まって愛となり 願いとなり
人々の家庭のくるしみとなり
よろこびとなる

そしてこれこそ私の詩人の魂をとおして
つねに歌となり 溶けて流れる

  

Posted by おはな at 00:11Comments(0)

2008年03月23日

インド哲学

私たちの祖先は、口をきくことのない岩石、激流となって流れる川、
あるいは森の暗闇のささやきに神秘を感じ、それを語り伝えてきた。

そのような原始的生活の名残が潜在意識となり、その意識が触発されてわたしの血を湧きたたせた。

とりついて離れない陰影のように、今なおわたしの中に生きている追憶は
私が生まれる前の文化的揺藍期と、その育成の地を求め、
かつて一つであった土地と水と空気の限りなき不思議な力に満ちた原始的生命にかえろうとする。

わたしはインドの祖先がわたしの心の奥深く、その遺産として残してくれたインド哲学、
すなわち、 万物と調和を保つことによって完全性にいたることを説いている哲学を信じないわけにはいかない。


それは人間がつくりだした世界にのみ通用する自由ではなく
宇宙の根源に根ざした自由である。

そのような自由の自覚があればこそ、わたしたちは火や水や木
動くもの 成長するもの それらのすべてが本質的にもっている神聖なものに対して
敬意を表すことができるのである。


「タゴール全集 詩人の学校」 より抜粋

  

Posted by おはな at 13:56Comments(0)

2008年03月22日

ジャナ・ガナ・マナ

すべての民族は、その民族自身を世界に現わす義務をもっています。
何も現わさない とゆうことは、民族的な罪悪といってもよく、
死よりもわるいことであって、人間の歴史において許されないことであります。

民族は、彼らの中にある最上のものを提出しなければなりません。

これはまたその民族の富である高潔な魂が、目の前の部分的な必要をこえて、
他の世界へ自国の文化の精神への招待状をおくる責任を自ら認める豊かさなのであります。

民族の過去に対して、心の奥ふかく、強い信念と深い誇りをつちかうことです。



「タゴール著作集 第8巻 東洋文化と日本の使命」 より 抜粋





読書してたらいいことがかいてあったので、忘れないようにメモ。
タゴールさんはインドの国歌「ジャナ・ガナ・マナ」をつくったひと。
ノーベル文学賞受賞者。
百年位前に日本にもきたことがある。  


抜粋した文章も、百年くらいまえに書かれたもの。
先見者だったんですね。  

Posted by おはな at 11:55Comments(2)

2008年03月20日

ひなたぼっこり

あさから陽気な鼻歌まじりで味噌汁の具のセリをきざんでたら、
右手の人差し指もザックリきざんじゃいました・・・


「ん~ぜんぜん痛くない!(言い聞かせ) いたいのいたいの飛んでゆけ~ 富士の山までとんでゆけ~」



リバテープ、リバテープ ・・あったけど、小っちぇ~
ようやく血が止まった(はぁと)





いまふと外を見たら あらまぁ すっごいいてんき!
ひなたぼっこりしてきま~す  

Posted by おはな at 11:22Comments(0)

2008年03月15日

あなたをおもうと

大貫妙子さんの音楽がとてもすき。
やさしい・・・

すがすがしい朝の光が溶けこんでるような声だなぁ


今日は阿蘇で 火文字 があるとゆうのでいってきます
初・火文字 ☆



  

Posted by おはな at 11:15Comments(0)

2008年03月14日

あの頃のぼくは

イルカのCD を借りた。



「なごり雪」 
イルカ・・・なんてハートのある声をしてる人~


いまぁ~春が来てぇ~ 君ぃわ~ きれいにぃ~なったぁ~♪
去年よりぃ~ ずっとぉ~ きれいにぃ~なったぁ~♪ 


この春のBGM 決定。



提供された歌もとってもいいけれど
イルカの詩がすきだな~



とっても悲しいことがあったとき つらいとき
だれでも 他の人からほほえみをもらうものです
そして自分もほほえむことができるようになるのです
だから今度は君にもほほえみをあげたい



つぶやくイルカ・・・さいこう!
イルカ・・・ありがとう!(感動)
  

Posted by おはな at 15:18Comments(0)

2008年03月11日

エヅコ

えづこでボートに乗った。
水面に空がうつって水色のみずうみになっていた


カワセミを撮影してる人のそばで水遊びをしてたら関係のないおばさんから大声で
「カワセミが来れないでしょう!おどきなさい!」


こちとら、はるばる遠くから友達がかえってきて思い出の場所で遊んでたのに・・

俺たちゃカワセミ以下なのかぃ・・・とぶちぶちいいながら陸にあがって
「くるわきゃねえ」といいながら座っていたら
本当に青い宝石・カワセミが飛んできて木に止まったので一転、感動して「マジで来たよ」っつって眺めていた。


きょうもえづこはきれいだった。
水はめっちゃへってるけど。



いい日だった こんないいひは一年ぶりだった。
  

Posted by おはな at 23:56Comments(0)

2008年03月09日

川尻酒造祭り

川尻いってきました~ 
いや~昼間の酒はうまい~


みんなでひしめきあいながら飲んだり食ったりするのってたのしい!
雨だったけどぜんぜん酔っ払ってたら気にならないし。


から揚げもおにぎりもきびなごも貝汁も馬スジもまんじゅうもハマグリも甘酒も
おいしくておいしくて・・・・・これで太るなら俺は悔いはねえ!っつってたべまくりました。


夢見心地のちどりあしでふらりんふらりん
まちなかも散策してきました


どこかしこに、文化が生きていてたいせつにされていて。
時の流れが江戸っぽかったです。
すばらしいところだ~ っておもいました



ただ、新幹線が通る事によって、景観がこわれる・・・・
川辺からのうつくしい夕陽や遠い山並がみえなくなるのが、むかしから住んでらっしゃる方にはきっとつらかろうなあ、と
川べりでおもいました。 






来年も祭りにまたいきたいです! 川尻バンザイ!  

Posted by おはな at 14:26Comments(0)

2008年03月09日

太郎さん

岡本太郎さんの「美の呪力」 読んだ。
なんていい本・・・


原始的なものってすばらしいなぁ 太郎さんはやっぱり素敵だなあ 
とおもった
  

Posted by おはな at 02:23Comments(0)

2008年03月07日

国際民芸館

今日はあさから「フォレスト・ガンプ」 をみた
フォレスト最高。

おもいついたら走りだす(笑)
ふつうだったら、ちょっとかんがえて やっぱやーめた ってなるところを。

きがついたらラグビー選手になったり、戦争行ったり、卓球選手になったり、ジョンレノンとテレビ共演したり、ベトナムでえび漁師になっていたり。



「人生はチョコレートの箱とおなじで開けてみるまでわからない」
「ぼくは馬鹿かもしれない。だけど、愛がどうゆうものかはわかるよ」
って。
さいしょからおわりまで彼の心が透明で素晴らしかった。
トム・ハンクスはすごい!





ひる・国際民芸館へ(すぐ隣が三の宮神社)
国際民芸館、よいところでした。いいものをじかにみること触れることができてしあわせ。
昔の日本の文化のレベルの高さにびっくりしました。


  

Posted by おはな at 02:20Comments(0)