2008年03月25日

シャンティ・ニケタン

わたしは何度でも繰りかえし申したい。
見かけはいくらいかめしく重々しくても中身の空虚なものなど我慢がならぬと。

わたしは信じる。
音楽が心を充実させるようなものであるなら、旋律もリズムも、洗練されたものになるはずだと。

形式の洗練は精神の充実の証拠である。
酔っ払いの騒々しい馬鹿騒ぎなどでは洗練など問題にならない。

心に本当の感情があるなら、その表現はむしろ控えめでつつましくあるはずだ。


洗練されたつつましさにこそ、本当の意味での重々しさがある。
豊かさの女神と、いかなる富も求めぬ無一物の神との融合こそ真の結合である。



ある時、わたしは日本にいた。
日本の古い文化の一部に触れたとき、わたしは深い充実感を覚えた。
 
誇張とか、余計なものとかは跡だになく、それは美意識の並々ならぬ深さを証明していた。


古代日本人の衣装、遊戯、家屋、家具、優雅な作法、宗教儀礼・・・
それらすべてに一つの支配的な理念が一貫しているようにおもわれた。

まさしく、この理念をこそ、古代日本人はそのすべての才能をあげて、
あのようにさまざまな、かつ麗しい形に表現してきたのだった。


たんに何もない空虚さなら、余計なものの過剰さと同じくらい無意味だ。


わたしがもっとも感動した古い日本文化の一側面とは、
たんに何もない空虚さでもなく、また余計なものの過剰さでもなく、その充実感であった。


心にこの充実感があればこそ、人は隣人たちに門前払いをくわせるかわりに、
逆に彼らを自分の家に招きいれ、もてなすようになるのだ。



中略・・

わたしは何も鉄道や電信、機械や工場を廃止せよと言っているのではない。
それらは必要である。

だが、そうゆうものはわれわれに何かを語りかけるということがない。
大宇宙の旋律に照応するものがない。
人の心の求めに答えるものがない。


人間が生活上の必需品だけに駆り立てられている間は、
その必需品を得るために道具をつくる。

これに反し、心が充実していると、人間は不滅の自己を顕わす。


必需品と道具の世界は嫉妬と悪意を育み、垣根と番兵を生みだし、
他のひとびとの犠牲において自己を拡大すること。

そして結局は戦争をうみだす。


これに反し、人間が自分の魂の本質を顕わすことによって永遠を味わうような世界は、
思いやりと、友情と、平和をうみだす。






「タゴール全集 人類の一体性と教育」より抜粋  

Posted by おはな at 01:10Comments(2)

2008年03月25日

タゴール

離れている孤独のかなしみが
世界中に拡がり 
無限の空に 数限りない形を生まれさせている


離れている孤独のかなしみが
終夜黙って 星から星をみつめ
七月の雨の闇に 
音立てて鳴る 木の葉の詩となる

どこまでも拡がる この痛みこそ
深まって愛となり 願いとなり
人々の家庭のくるしみとなり
よろこびとなる

そしてこれこそ私の詩人の魂をとおして
つねに歌となり 溶けて流れる

  

Posted by おはな at 00:11Comments(0)