愛ってなんだろう
2008年05月31日
きょうはターシャの本をよんでいたらとてもいい言葉があったので忘れないようにメモしておきます。
自分のこころに正直であれ。
特に、愛するふりをしてはいけない。
愛に対して懐疑的になってもいけない。
無味乾燥で現実主義の世の中にあっても
愛は雑草のように生きつづけるものだから。
年齢による分別を、快くうけいれよう。
若さにしがみつくことなく、しなやかに手放そう。
突然の不運に立ち向かえるよう精神をきたえよう。
暗い想像で、打ち沈んではいけない。
不安の多くは疲れと孤独から生まれる。
自分を律するのはいいが、それ以上に
じぶんにやさしくしよう。
まわりが騒がしく、せわしくても、穏やかに行動し
静けさがどのように心休まるものかに思いをはせよう。
可能な限り、しかし、へつらうことなく
すべての人々とよい関係を築こう。
自分をいつわらず、しずかに真実を語り、
人の話も、耳を傾けて聞こう。
無学、無知の者のはなしも。
彼らにも、いいたいことがあるのだから。
自分のこころに正直であれ。
特に、愛するふりをしてはいけない。
愛に対して懐疑的になってもいけない。
無味乾燥で現実主義の世の中にあっても
愛は雑草のように生きつづけるものだから。
年齢による分別を、快くうけいれよう。
若さにしがみつくことなく、しなやかに手放そう。
突然の不運に立ち向かえるよう精神をきたえよう。
暗い想像で、打ち沈んではいけない。
不安の多くは疲れと孤独から生まれる。
自分を律するのはいいが、それ以上に
じぶんにやさしくしよう。
まわりが騒がしく、せわしくても、穏やかに行動し
静けさがどのように心休まるものかに思いをはせよう。
可能な限り、しかし、へつらうことなく
すべての人々とよい関係を築こう。
自分をいつわらず、しずかに真実を語り、
人の話も、耳を傾けて聞こう。
無学、無知の者のはなしも。
彼らにも、いいたいことがあるのだから。
Waltz For Debby
2008年05月31日
ビル・エヴァンスが好き。
とゆうか ワルツ・フォー・デビーが。
18のときに超面白い先生の音楽論の授業を受けたときに
先生がただ黙ってこれを流し、
授業がおわると同時に、先生にこのCD貸してください ってゆった。
わたしにとってはとても大きな出会いだった。
シンプルで愛情深いメロディー・・・
一瞬で恋に落ちるような感じ。
マイルスの代表作ともいわれている Kind of blue
これはビルがピアノを弾いていたって、しらなかった。
知らないまますごく愛してる曲だった。
あのピアノの出だしなしでは成り立たないもん。
マイルスもすごいが、ビルが、すごい・・・
ビルが、真の天才。
何度聴いてもききあきない
聴けば聴くほど 深い
一つの感情 色 。
水墨画と禅が好きだったとゆうビル。
別れた奥さんとお兄さんが相次いで自殺したり
麻薬におぼれて体壊して大変だったみたいだけれど・・・
彼の尊い魂は残されたうつくしい音楽の中に
それを聴く人の心に、永遠にいきつづけるんだとおもう。
とゆうか ワルツ・フォー・デビーが。
18のときに超面白い先生の音楽論の授業を受けたときに
先生がただ黙ってこれを流し、
授業がおわると同時に、先生にこのCD貸してください ってゆった。
わたしにとってはとても大きな出会いだった。
シンプルで愛情深いメロディー・・・
一瞬で恋に落ちるような感じ。
マイルスの代表作ともいわれている Kind of blue
これはビルがピアノを弾いていたって、しらなかった。
知らないまますごく愛してる曲だった。
あのピアノの出だしなしでは成り立たないもん。
マイルスもすごいが、ビルが、すごい・・・
ビルが、真の天才。
何度聴いてもききあきない
聴けば聴くほど 深い
一つの感情 色 。
水墨画と禅が好きだったとゆうビル。
別れた奥さんとお兄さんが相次いで自殺したり
麻薬におぼれて体壊して大変だったみたいだけれど・・・
彼の尊い魂は残されたうつくしい音楽の中に
それを聴く人の心に、永遠にいきつづけるんだとおもう。
キツツキ
2008年05月28日
街のすぐそばでキツツキをみた。うまれてはじめて見た。
ほんとうに木をつついていた。
懸命な様子があまりにもむぞらしいので笑ってしまった。
こつんこつんと夢中でつついているところに猫の忍び足でちかづいて観察
真ん丸の穴をつくってる。
すごいぜキツツキ・・・
と鼻息を荒くしたとたんに
「はっ みられとる」と気がついて逃げてしまった。
なんとも可愛い鳥だった。
ほのぼのした気持ちになって一時木陰でぼんやりした。
五月の緑 きれい。
生えたばかりの透明な葉をひかりがすりぬけて
ちょうどいい明るさ。
キツツキをまたみにいこう。
ほんとうに木をつついていた。
懸命な様子があまりにもむぞらしいので笑ってしまった。
こつんこつんと夢中でつついているところに猫の忍び足でちかづいて観察
真ん丸の穴をつくってる。
すごいぜキツツキ・・・
と鼻息を荒くしたとたんに
「はっ みられとる」と気がついて逃げてしまった。
なんとも可愛い鳥だった。
ほのぼのした気持ちになって一時木陰でぼんやりした。
五月の緑 きれい。
生えたばかりの透明な葉をひかりがすりぬけて
ちょうどいい明るさ。
キツツキをまたみにいこう。
江津湖の蛍
2008年05月25日
寝起きにラジオをきいてたら 南こうせつさんのラジオにイルカの息子が・・・・
イルカの息子さんは江原さんが書いた詞を歌にして歌っていた。
わたしは丸太ん棒のように床に横たわってそれをきいていた。
昨晩食したギョーザのにんにく臭をまきちらしながら。
やれてます。
天気はびみょうだし。
こんなひは、なにをしましょう・・
とりあえず本屋までさるいて「趣味の園芸」でもみっか・・・
温泉なっと、はいりたい気もすんなぁ。
ふんなこつもてあますなぁ。
そういや蛍はながれちゃったかなぁ 雨にうたれて。
きれいだったなぁ エヅコの蛍。
去年より多かった。
水は年々減っている。
蛍がでるあたりの歩道の電灯を期間限定で消して、熊本城の水明かりみたいに、竹に蝋燭入れて歩道をほのかにライトアップとかしたらもっと雰囲気いいし、蛍ももっとはっきり美しくみえる~とおもう。
電灯が明るすぎて蛍がよく見えなかったから。
蛍って、なんどみてもいいものだなぁ
近くにこうゆう場所が残っていることってすごく貴重だというきがする。
のこしていかないと。
イルカの息子さんは江原さんが書いた詞を歌にして歌っていた。
わたしは丸太ん棒のように床に横たわってそれをきいていた。
昨晩食したギョーザのにんにく臭をまきちらしながら。
やれてます。
天気はびみょうだし。
こんなひは、なにをしましょう・・
とりあえず本屋までさるいて「趣味の園芸」でもみっか・・・
温泉なっと、はいりたい気もすんなぁ。
ふんなこつもてあますなぁ。
そういや蛍はながれちゃったかなぁ 雨にうたれて。
きれいだったなぁ エヅコの蛍。
去年より多かった。
水は年々減っている。
蛍がでるあたりの歩道の電灯を期間限定で消して、熊本城の水明かりみたいに、竹に蝋燭入れて歩道をほのかにライトアップとかしたらもっと雰囲気いいし、蛍ももっとはっきり美しくみえる~とおもう。
電灯が明るすぎて蛍がよく見えなかったから。
蛍って、なんどみてもいいものだなぁ
近くにこうゆう場所が残っていることってすごく貴重だというきがする。
のこしていかないと。
シェイド・ランプ
2008年05月23日
ぷりぷりのでかミミズを二十匹ばかしとりだして畑に移植。
激安 都忘れを植える あと四つ葉のクローバーもピンクのダリアも。
夢中でどろまみれになっていたら蚊の餌食になっていた。
なんつーか ひま。 眼鏡が重たい。 雨はふるのかふらないのか とりあえず打ち水。
蚊取り線香をぽきぽきおって火ぃつけてどこそこにさしといた。
でもそれは 作業中にしておけばよかったんじゃねえの?とかおもう。
さいきんシェイドランプのいいのが欲しいな~ とおもっててネットで探したけどやっぱり 実物をみたがはやいかな。
北欧の光の使い方はすごく素敵だ豊かだ とゆう本をよんでさっそく天井の蛍光灯を根こそぎひきぬいて納屋につっこんだ。
内容はというと・・・
日本は家とか食とか家具は西洋化してるけど 光の使い方がまだ昔のまま。
天井から蛍光灯をひとつ吊るすのだけが照明だとおもってる人の割合が多い。
そして西洋に比べて、外から自分ちの窓の光がどうみえるのかってのに対する意識があんましない。
どうせなら快適にリラックスできる空間で暮らしたいよね。
それが照明器具で簡単につくりだせる。
さあ、きみもいますぐ部屋にシェイドランプを置くんだ。
人生がかわるよ!
みたいなことがかいてあった。
おもいきり本に影響されやすいわたしはさっそくいきおいづいてまえまえから気に食わなかった蛍光灯をひっこぬいたものの、暗くてくらくて・・・ でもあの ビーーーーーーーってゆう蛍光灯の音がなくなったので頭痛が消えた。
いまはとりあえずスポットライトを天井に向けて当てて、心地いい間接照明で過ごしてます。
シェイドランプ いいのないかな~
激安 都忘れを植える あと四つ葉のクローバーもピンクのダリアも。
夢中でどろまみれになっていたら蚊の餌食になっていた。
なんつーか ひま。 眼鏡が重たい。 雨はふるのかふらないのか とりあえず打ち水。
蚊取り線香をぽきぽきおって火ぃつけてどこそこにさしといた。
でもそれは 作業中にしておけばよかったんじゃねえの?とかおもう。
さいきんシェイドランプのいいのが欲しいな~ とおもっててネットで探したけどやっぱり 実物をみたがはやいかな。
北欧の光の使い方はすごく素敵だ豊かだ とゆう本をよんでさっそく天井の蛍光灯を根こそぎひきぬいて納屋につっこんだ。
内容はというと・・・
日本は家とか食とか家具は西洋化してるけど 光の使い方がまだ昔のまま。
天井から蛍光灯をひとつ吊るすのだけが照明だとおもってる人の割合が多い。
そして西洋に比べて、外から自分ちの窓の光がどうみえるのかってのに対する意識があんましない。
どうせなら快適にリラックスできる空間で暮らしたいよね。
それが照明器具で簡単につくりだせる。
さあ、きみもいますぐ部屋にシェイドランプを置くんだ。
人生がかわるよ!
みたいなことがかいてあった。
おもいきり本に影響されやすいわたしはさっそくいきおいづいてまえまえから気に食わなかった蛍光灯をひっこぬいたものの、暗くてくらくて・・・ でもあの ビーーーーーーーってゆう蛍光灯の音がなくなったので頭痛が消えた。
いまはとりあえずスポットライトを天井に向けて当てて、心地いい間接照明で過ごしてます。
シェイドランプ いいのないかな~
熊本弁
2008年05月21日
(失敗に気がついたとき)
あいた、しもうた=あっ しまった
あ~いた しもうた(詠嘆)= あ~あ しまった
抵抗心を示すとき・・・
「どうあるか」「どぎゃんあるか」=なにかまうものか
反抗心を示すとき
「なんか」「なんや」「なんな」「なんてな?」・・・といいます。
うつくしい= うつくしか~
きつい=きつか~
くさい=くさか~
語尾に「か」をつけるか、語尾の「か」を長音にすることによって強調、詠嘆の意となる。
感動したときの表現は・・・
太い→ふとさ~ ふとか~
おしい→おしさ~ おしか~
たかい→たかさ~ たかか~
汚い=きたにゃー
細い=こみゃ~
これをしなさい=こるばせんか
着物=きもん
若者=わきゃもん
医者=いしゃどん
婿殿=むこどん
しきりばしするごつ=できもしないのに
どこさん行くと=どこへいくの
そぎゃんゆうたっちゃねぇ=そんなに言っても(納得できないの意)
そぎゃんこつぁなか(強否定)=そんなことはない
あくしゃうつ=困り果てる 弱る もてあます
あじうちくろうて=味をしめて あじをおぼえる
あたまつみいってくる=散髪にいってくる
のさん=たえられない
のす=たえる
たぎる=沸騰する
しこたま=沢山
ちーんか=小さい
ふとーか=大きい
いっがけ=行くとき
もどりがけ=帰るとき
あおたれる=顔色が悪い
ゆるっと=ゆっくり
せにゃ=しなくては
行かにゃんね=いかなくてはいけないね
あんた生きとったな=あなた生きていたか
生きとんなはる=生きておいでです
いきなはりまっせ=(丁寧)行ってください
いとんかゆんなか=痛くもかゆくもない
いばらす=おごる たかぶる
いっぴゃあ=山のように沢山
いたらんこったい=いらぬことだ
ぬしゃ いたらんこつばゆうな=おまえ いらぬことをいうな
あんた一人でいっきるね=あなた一人で行けますか
ふんなこつはいわんでよか=そんなことは言わないほうがいい
こん道はいっちょん進まん=この道は少しも進まない(渋滞)
あらぁ あられむにゃあ=あらまぁ はしたない とんでもない
あやつはあるこつにゃーこつしゃべりまくって=あいつはあることないこと言いたてて
あんぽんたん=ばかもの 阿呆もの
むぞらしかね=かわいいね
いいっぱなし=しゃべりつづけること
その他・・
つんのぼする ばちぐりかえす ひんむく へし折る
打たくる まぜくる うっぽんぽん 言いかぶる やおいかん etc
ちなみに、わたしがいちばんよく耳にするのは
じいちゃんの
「アイタ~しもうた~」 「いらんこつばゆうな」「お前はぱーちくりんか」・・・
熊本弁のみならず、方言はどこのも、あったかくて人情があふれてていいなあ・・・
熊日新聞で90歳のおばあちゃんが「消えてゆく方言を残してほしい・・・」ってゆってたけん
ちょっと調べてみました☆
あいた、しもうた=あっ しまった
あ~いた しもうた(詠嘆)= あ~あ しまった
抵抗心を示すとき・・・
「どうあるか」「どぎゃんあるか」=なにかまうものか
反抗心を示すとき
「なんか」「なんや」「なんな」「なんてな?」・・・といいます。
うつくしい= うつくしか~
きつい=きつか~
くさい=くさか~
語尾に「か」をつけるか、語尾の「か」を長音にすることによって強調、詠嘆の意となる。
感動したときの表現は・・・
太い→ふとさ~ ふとか~
おしい→おしさ~ おしか~
たかい→たかさ~ たかか~
汚い=きたにゃー
細い=こみゃ~
これをしなさい=こるばせんか
着物=きもん
若者=わきゃもん
医者=いしゃどん
婿殿=むこどん
しきりばしするごつ=できもしないのに
どこさん行くと=どこへいくの
そぎゃんゆうたっちゃねぇ=そんなに言っても(納得できないの意)
そぎゃんこつぁなか(強否定)=そんなことはない
あくしゃうつ=困り果てる 弱る もてあます
あじうちくろうて=味をしめて あじをおぼえる
あたまつみいってくる=散髪にいってくる
のさん=たえられない
のす=たえる
たぎる=沸騰する
しこたま=沢山
ちーんか=小さい
ふとーか=大きい
いっがけ=行くとき
もどりがけ=帰るとき
あおたれる=顔色が悪い
ゆるっと=ゆっくり
せにゃ=しなくては
行かにゃんね=いかなくてはいけないね
あんた生きとったな=あなた生きていたか
生きとんなはる=生きておいでです
いきなはりまっせ=(丁寧)行ってください
いとんかゆんなか=痛くもかゆくもない
いばらす=おごる たかぶる
いっぴゃあ=山のように沢山
いたらんこったい=いらぬことだ
ぬしゃ いたらんこつばゆうな=おまえ いらぬことをいうな
あんた一人でいっきるね=あなた一人で行けますか
ふんなこつはいわんでよか=そんなことは言わないほうがいい
こん道はいっちょん進まん=この道は少しも進まない(渋滞)
あらぁ あられむにゃあ=あらまぁ はしたない とんでもない
あやつはあるこつにゃーこつしゃべりまくって=あいつはあることないこと言いたてて
あんぽんたん=ばかもの 阿呆もの
むぞらしかね=かわいいね
いいっぱなし=しゃべりつづけること
その他・・
つんのぼする ばちぐりかえす ひんむく へし折る
打たくる まぜくる うっぽんぽん 言いかぶる やおいかん etc
ちなみに、わたしがいちばんよく耳にするのは
じいちゃんの
「アイタ~しもうた~」 「いらんこつばゆうな」「お前はぱーちくりんか」・・・
熊本弁のみならず、方言はどこのも、あったかくて人情があふれてていいなあ・・・
熊日新聞で90歳のおばあちゃんが「消えてゆく方言を残してほしい・・・」ってゆってたけん
ちょっと調べてみました☆
土着すること
2008年05月14日
畑のすみっこにミミズ育成所(?)をつくって
ご飯の残りや野菜くず、なんでもいれとったらすごいの、ミミズが!
土がものすごく肥えて、野菜がガンガン育つ・・・
真っ黒でふかふかで、キメが細かくて・・・
丹精込めた甲斐があったぜ・・・(しみじみ)
近所の子供たちがやってきて泥団子つくって
どろんちょで幸せそうにしてるのをみると
なんか、土があってよかった! っておもうったいね。
いまの家に越す前は、十数年コンクリートのアパートだったから
わたしはずっと、庭に憧れている子供だった。
だから今は解放されたように土いじりしている。
植物の表情をじっと観察するの たのしい。
あさ、ひる、ばん 違う。
小学校の理科で虫眼鏡もって菜の花観察したように
虫眼鏡をもってのぞいてみる。
たくさんの可愛いものがちょろちょろしてる
切り株の下に、冬眠中のカエルもいた。
遠くに行かなくても、美しいものは 目の前にある
土いじりしていてそう思えるようになった。
もう遠くへいきたくない。
ここがいい。ここがすき ってかんじ。
これが「土着した」 とゆう感覚なのかもしれない。
土と触れ合ってるうちに
心が土着したのかもしれない
まえは、なんかあるとどこか遠くに行きたかったけど
いまは熊本にいたいとおもう
今の居場所に太い根っこが生えたような気持ち。
なんだか ほっとしている。
ご飯の残りや野菜くず、なんでもいれとったらすごいの、ミミズが!
土がものすごく肥えて、野菜がガンガン育つ・・・
真っ黒でふかふかで、キメが細かくて・・・
丹精込めた甲斐があったぜ・・・(しみじみ)
近所の子供たちがやってきて泥団子つくって
どろんちょで幸せそうにしてるのをみると
なんか、土があってよかった! っておもうったいね。
いまの家に越す前は、十数年コンクリートのアパートだったから
わたしはずっと、庭に憧れている子供だった。
だから今は解放されたように土いじりしている。
植物の表情をじっと観察するの たのしい。
あさ、ひる、ばん 違う。
小学校の理科で虫眼鏡もって菜の花観察したように
虫眼鏡をもってのぞいてみる。
たくさんの可愛いものがちょろちょろしてる
切り株の下に、冬眠中のカエルもいた。
遠くに行かなくても、美しいものは 目の前にある
土いじりしていてそう思えるようになった。
もう遠くへいきたくない。
ここがいい。ここがすき ってかんじ。
これが「土着した」 とゆう感覚なのかもしれない。
土と触れ合ってるうちに
心が土着したのかもしれない
まえは、なんかあるとどこか遠くに行きたかったけど
いまは熊本にいたいとおもう
今の居場所に太い根っこが生えたような気持ち。
なんだか ほっとしている。
タゴール・幸福の歌
2008年05月06日
私のこの歌は ほんの一瞬にすぎず
心の近くまできて すぐ消えてしまうものなのでしょうか
私の心の言葉 眠れない苦悩は
ただ ためいきのように 漂ってゆくのでしょうか
この歌がいつもあなたを取り囲み
真実の道の上で あなたの名前を呼ぶように
人生の喜びや悲しみにつけ
あなたの顔をみつめ
永遠の祝福のように 近くにあるように
孤独なとき 友となって
いつもあなたの 心の希望をきくように
人生の荒野で あなたが泣いているのをみたら
悲しみの息を 分かち合うように
人生の誘惑が 蜜をまぶした毒の言葉で
弱い心を襲う時
この歌の調べが あなたの心を満たしておくように
神秘的な呪文のように
いつもあなたの耳元で 鳴っているように
わたしのこの歌が とても長い人生で
あなたの衣服となり 装身具となるように
世界の埃の網から遠ざけて
あなたをいつもきれいに
美しくしておきます
わたしのこの歌が 自由であるように
やさしい風になって 羽を広げ
甘い香りのように
あなたを盗んでつれてゆき
天国の境界が どこにあるかを見せにゆきます
この歌が あなたの北極星となり
暗闇の中で じっと輝いているように
あなたの顔の上で
愛に充ちて いつも目覚め
目を見開かせて 岸辺を見せてくれます
わたしのこの歌が
あなたの耳に入って
みんなのこころに 溶けてしまうように
温かい血のように
頭へ休む間もなく流れ
喜びで 気高い歌となり
踊りだす
この歌が 瞳になって
あなたの目のなかに生き
あなたのなかでよみがえるように
この歌が 絶え間なく
新しい命をさずけるように
この歌が 人生の中で 命となるように
もし わたしが いってしまったら
もし 死が呼んで 連れていったら
この歌に 私の愛に満ちた目を 託してゆきます
ああ すべての歌が終わりになっても
この歌の中に わたしは生きつづけますように
タゴール「幸福の歌」より 抜粋
シヴィリティー
2008年05月06日
礼儀(シヴィリティー) とは 立居振舞の美である。
その完璧な成就のためには、
忍耐 自制
ならびに 閑暇に富む環境が要求される
なぜなら、本物の礼儀というものは
絵画のごとく、音楽のごとく、一種の創造なのであるから。
それは声音、身振りと動作、言葉と行為の
調和のとれた混合であり、
そのなかに、日頃の行状の鷹揚さが
自然に表現されるものである。
それは人柄そのものをうかがわせるものなのであって、
裏の目的などはまったくない。
タゴール 「詩人の宗教」より抜粋
その完璧な成就のためには、
忍耐 自制
ならびに 閑暇に富む環境が要求される
なぜなら、本物の礼儀というものは
絵画のごとく、音楽のごとく、一種の創造なのであるから。
それは声音、身振りと動作、言葉と行為の
調和のとれた混合であり、
そのなかに、日頃の行状の鷹揚さが
自然に表現されるものである。
それは人柄そのものをうかがわせるものなのであって、
裏の目的などはまったくない。
タゴール 「詩人の宗教」より抜粋
野いちご狩り
2008年05月06日
家のうらのやぶに野いちごが鈴なりになっているのを発見
家族総出でイチゴ狩りがはじまった
ヘビでそうだったけど、
お父さんが勇敢にも藪をふみわけて
道を作ってくれた。
そのときの父のいままでになく頼もしい背中・・
母のこれまでになく真剣な横顔・・・
奇声をあげて喜ぶ姉・・・
林家パー子ばりに写真をとりたくる私・・
結果 3キロ近くの野いちごがとれた☆
「うーん これがゴールデンウィークで一番楽しかったね」
と言い合いながら ゆうごはんを食べた。
これで野いちごのムースをつくります☆イエイ!
家族総出でイチゴ狩りがはじまった
ヘビでそうだったけど、
お父さんが勇敢にも藪をふみわけて
道を作ってくれた。
そのときの父のいままでになく頼もしい背中・・
母のこれまでになく真剣な横顔・・・
奇声をあげて喜ぶ姉・・・
林家パー子ばりに写真をとりたくる私・・
結果 3キロ近くの野いちごがとれた☆
「うーん これがゴールデンウィークで一番楽しかったね」
と言い合いながら ゆうごはんを食べた。
これで野いちごのムースをつくります☆イエイ!
GW
2008年05月06日
きょうは25メートルプールでおよいだ。
みずに浮かんでいるとすごくきもちがいい。
底にうつってゆらゆらゆれいる模様がきれいで
うっとり ぽけーっとおよいでいた。
潜水したり 背泳ぎしたり・・・
ビート板使ってバタ足したり
息継ぎなしに挑んだり 前転したりバク転したり
ダイエット体操をしてみたりと。
うーん すいえい好き!
びしょびしょの頭で味噌天神におまいりしたあと
BOOK OFFでなんとなしに本上まなみの写真集を手に取った。
か、かわいい~!
マティスの画集とレオナルド・ダ・ヴィンチの画集が
それもめちゃいいのが100円だったので即買い
満足したところで
ん~ じゃあ、せっかくだから熊本城でもみにいくか~
とおもって ちらっとみてきました。
あの新しい建物。
かえり
スタバで、ラテとレモンケーキ
わたしはいつでもレモンケーキ。
レモンケーキおいしい~ べたべたすっけど。
ボルケーノもこのあいだおねーちゃんとたべたけど
すっごくおいしかった☆
スタバの店員さんはみんなてきぱきとしててだれてなくて
接客がすばらしいのでいくといい気分になる。
かえったら猫が玄関でまっていた。
にゃおん とすりすりしてきた。
しあわせないちにちだった。
みずに浮かんでいるとすごくきもちがいい。
底にうつってゆらゆらゆれいる模様がきれいで
うっとり ぽけーっとおよいでいた。
潜水したり 背泳ぎしたり・・・
ビート板使ってバタ足したり
息継ぎなしに挑んだり 前転したりバク転したり
ダイエット体操をしてみたりと。
うーん すいえい好き!
びしょびしょの頭で味噌天神におまいりしたあと
BOOK OFFでなんとなしに本上まなみの写真集を手に取った。
か、かわいい~!
マティスの画集とレオナルド・ダ・ヴィンチの画集が
それもめちゃいいのが100円だったので即買い
満足したところで
ん~ じゃあ、せっかくだから熊本城でもみにいくか~
とおもって ちらっとみてきました。
あの新しい建物。
かえり
スタバで、ラテとレモンケーキ
わたしはいつでもレモンケーキ。
レモンケーキおいしい~ べたべたすっけど。
ボルケーノもこのあいだおねーちゃんとたべたけど
すっごくおいしかった☆
スタバの店員さんはみんなてきぱきとしててだれてなくて
接客がすばらしいのでいくといい気分になる。
かえったら猫が玄関でまっていた。
にゃおん とすりすりしてきた。
しあわせないちにちだった。
現代詩について 2
2008年05月06日
自分は沼に、泥沼に住んでいる
というような詩が 現代詩。
宇宙に対する不信感と誹謗に満ちた態度は
急激な変化がもたらした精神異常である。
世界を嫌っている人が書いた詩が現代詩といっても良い。
過去の詩と違っている点は、
心に描いたバラ色の夢の世界に陶酔しよう
とする欲望がまったくないことだ。
そこで。
純粋なモダニズムは宇宙をじっと見つめることにある。
それは個人的自負に満ちた態度で
自然をみるのではなく、
非個人的に、ありのままにみることである。
この見方は晴れやかで、しかも純粋であり
一点のかげりもない幻想に見られる
本当の喜びである。
現代科学が冷静に現実を分析するのと同じく
詩もまた宇宙を全体として見つめるのであり
そこに永遠の現代があるのである。
しかしながら、
実際にこれを現代的というのはナンセンスである
自然で、しかも超然とした態度でものを見ることは、
なにも特定な時代に限られたものではない。
それはありのままの大地を見ることのできる
すべての人たちに共通の時代である。
中国の詩人である李白が詩を書いたのは
千年以上もむかしのことであるが、
それでいて彼は現代的である。
彼は大きく見開いた新鮮な目で
宇宙をじっと見ていたのである。
タゴール 「現代詩について」より 抜粋
というような詩が 現代詩。
宇宙に対する不信感と誹謗に満ちた態度は
急激な変化がもたらした精神異常である。
世界を嫌っている人が書いた詩が現代詩といっても良い。
過去の詩と違っている点は、
心に描いたバラ色の夢の世界に陶酔しよう
とする欲望がまったくないことだ。
そこで。
純粋なモダニズムは宇宙をじっと見つめることにある。
それは個人的自負に満ちた態度で
自然をみるのではなく、
非個人的に、ありのままにみることである。
この見方は晴れやかで、しかも純粋であり
一点のかげりもない幻想に見られる
本当の喜びである。
現代科学が冷静に現実を分析するのと同じく
詩もまた宇宙を全体として見つめるのであり
そこに永遠の現代があるのである。
しかしながら、
実際にこれを現代的というのはナンセンスである
自然で、しかも超然とした態度でものを見ることは、
なにも特定な時代に限られたものではない。
それはありのままの大地を見ることのできる
すべての人たちに共通の時代である。
中国の詩人である李白が詩を書いたのは
千年以上もむかしのことであるが、
それでいて彼は現代的である。
彼は大きく見開いた新鮮な目で
宇宙をじっと見ていたのである。
タゴール 「現代詩について」より 抜粋
現代詩について
2008年05月06日
現代詩は一種の精神異常にある。
それを認めるべきである。
これはひとつの幻覚であり、
そこには冷静で落ち着いた精神状態で
現実をごく自然にうけいれようとする真面目な努力が見られない
このような攻撃的態度や
気まぐれで破壊的な挑戦的精神が
現代の特徴である
と 多くの人たちは考えている。
わたしはそうは思っていない。
たとえ何千人の人たちが今日風邪をひいているとしても、
風邪が現代の自然な身体的症状であるとは考えられない。
ごく自然な、身体のあるべき姿は
風邪を超えたところに存在する。
現代詩は皮肉である。
ありのままの大地を見ることができないでいる。
詩人でさえも、火葬場の空気に汚染され
わたしたちが偉大であると考えているものを
「腐敗している」 と言い、
わたしたちが美しいと賛美しているものを、
その中には手を触れるのも汚らわしいものが含まれている
というほどに現代という時代は退廃しているのであろうか。
ヴィクトリア朝 中期の人たちは、現実を尊重し、
それに敬意を払った。
現代人は現実を軽蔑し、
品位の衣をすべて脱がせてしまうのが
現代である と考えている
自然でないものは 永遠ではない
科学においても、芸術の場合と同じように
超然とした心が最善の意志伝達手段である。
現代詩、すなわち科学時代の詩は
言葉の節約に取り組んだのであるが、
その過程でのもっとも大きな損失は、
何と言っても言葉の装飾であった。
韻やリズムや言葉の選択について、これまでのような
きめの細かい心遣いはほとんど必要なくなった。
しかしこのような変化は
決してスムーズに行われていたわけではなく、
過去の魅力を払拭するため
積極的な過去の否定が流行するようになった。
それはあたかも、庭の垣根を乗り越えて、
選択の意志が忍びこむといけないので、
割れたガラスの破片を垣根に並べ、
屋敷の美観をまったくなくしてしまったようなものであった。
自然に詩の中に導入されているのではなく、
誰かの批判、攻撃を恐れて
あたかも故意につまさきで歩いているようなもので、
それが現代的であるかもしれない。
モダニズムの考え方の合言葉は、
「美ではなく真理」
芸術の機能は心を魅了するのではなく
心に克つことである と言った。
いわゆる観察
美しいものもあれば醜いものもある。
あるものは有益であり、
またあるものは有害である。
しかしながらそのいづれをとってみても
創造の世界から抹殺するいかなる理由もないのである。
それは文学においても、
また美術においても同じである。
タゴール 「現代詩について」より 抜粋
この文章のつづきは 「現代詩について 2」で紹介します。
それを認めるべきである。
これはひとつの幻覚であり、
そこには冷静で落ち着いた精神状態で
現実をごく自然にうけいれようとする真面目な努力が見られない
このような攻撃的態度や
気まぐれで破壊的な挑戦的精神が
現代の特徴である
と 多くの人たちは考えている。
わたしはそうは思っていない。
たとえ何千人の人たちが今日風邪をひいているとしても、
風邪が現代の自然な身体的症状であるとは考えられない。
ごく自然な、身体のあるべき姿は
風邪を超えたところに存在する。
現代詩は皮肉である。
ありのままの大地を見ることができないでいる。
詩人でさえも、火葬場の空気に汚染され
わたしたちが偉大であると考えているものを
「腐敗している」 と言い、
わたしたちが美しいと賛美しているものを、
その中には手を触れるのも汚らわしいものが含まれている
というほどに現代という時代は退廃しているのであろうか。
ヴィクトリア朝 中期の人たちは、現実を尊重し、
それに敬意を払った。
現代人は現実を軽蔑し、
品位の衣をすべて脱がせてしまうのが
現代である と考えている
自然でないものは 永遠ではない
科学においても、芸術の場合と同じように
超然とした心が最善の意志伝達手段である。
現代詩、すなわち科学時代の詩は
言葉の節約に取り組んだのであるが、
その過程でのもっとも大きな損失は、
何と言っても言葉の装飾であった。
韻やリズムや言葉の選択について、これまでのような
きめの細かい心遣いはほとんど必要なくなった。
しかしこのような変化は
決してスムーズに行われていたわけではなく、
過去の魅力を払拭するため
積極的な過去の否定が流行するようになった。
それはあたかも、庭の垣根を乗り越えて、
選択の意志が忍びこむといけないので、
割れたガラスの破片を垣根に並べ、
屋敷の美観をまったくなくしてしまったようなものであった。
自然に詩の中に導入されているのではなく、
誰かの批判、攻撃を恐れて
あたかも故意につまさきで歩いているようなもので、
それが現代的であるかもしれない。
モダニズムの考え方の合言葉は、
「美ではなく真理」
芸術の機能は心を魅了するのではなく
心に克つことである と言った。
いわゆる観察
美しいものもあれば醜いものもある。
あるものは有益であり、
またあるものは有害である。
しかしながらそのいづれをとってみても
創造の世界から抹殺するいかなる理由もないのである。
それは文学においても、
また美術においても同じである。
タゴール 「現代詩について」より 抜粋
この文章のつづきは 「現代詩について 2」で紹介します。
現代について
2008年05月06日
現代人は自分の籠をつくるのに忙しく、
「物質」とよばれる怪物への依存度を高め、
その物質とゆう籠に周辺を囲まれて生活を営んでいる。
人間は常に死角に自分を置き、
その死角という範囲に自分を限定し、
死角の一部になってしまうのである。
文明人は正常の人間が営む生活軌道を遠く離れている
現代人が倦怠感や厭世に悩み、
周囲に対して理由なく反抗し、
それで苦しんでいるのをみかけるのは少なくない。
現代の非常に複雑な社会においては、
機械的支配力が効率的に組織され、
物質的生産がさきに立って人間本来の姿が失われ、
それを阻止する力が追いついていかない。
このような節度のない物質文明の発達は
茂りはびこる熱帯植物のように、
そのなかに人間を閉じこめてしまうのである。
鳥籠は複雑で 金がかかり、
しかも籠の外との関係がなく、
あまりにも耐え難い状況を作りだす。
タゴール 「社会論」より抜粋
「物質」とよばれる怪物への依存度を高め、
その物質とゆう籠に周辺を囲まれて生活を営んでいる。
人間は常に死角に自分を置き、
その死角という範囲に自分を限定し、
死角の一部になってしまうのである。
文明人は正常の人間が営む生活軌道を遠く離れている
現代人が倦怠感や厭世に悩み、
周囲に対して理由なく反抗し、
それで苦しんでいるのをみかけるのは少なくない。
現代の非常に複雑な社会においては、
機械的支配力が効率的に組織され、
物質的生産がさきに立って人間本来の姿が失われ、
それを阻止する力が追いついていかない。
このような節度のない物質文明の発達は
茂りはびこる熱帯植物のように、
そのなかに人間を閉じこめてしまうのである。
鳥籠は複雑で 金がかかり、
しかも籠の外との関係がなく、
あまりにも耐え難い状況を作りだす。
タゴール 「社会論」より抜粋
教育の問題
2008年05月01日
西洋では、学校は子供の精神的発達のうえで
小さい役割しか果たしていない。
大きい役割を果たしているのは、
子供の育つ社会の生活そのものである。
西洋では、教育は実際生活から遊離しているどころか、
その不可分の一部となっている。
教育は社会のなかで生まれ、社会の中で育ち、
社会の中で生きて働いている。
そして人々が日常生活の中で話したり、
考えたり、行なったりすることにおのずとにじみでてくる
学校は、社会がその長い歴史の間に、
多くの人々がいろいろな活動をとおして獲得してきた文化を、
次の世代に伝えるひとつの手段にすぎない。
これに反し、わが国の学校は、
社会と完全に一体化しているどころか、
むしろ外側から社会におしつけられたものである。
学校の教える教科は退屈で無味乾燥であり、
憶えるのに骨が折れるばかりか、
やっと憶えたときには何の役にも立たない。
十時から四時までの間に生徒たちが詰めこみ勉強で憶えたことと、
彼らが実際暮らしている社会との間には、何一つ一致点はない。
むしろ多くの不一致点がある。
学校なるものは、ほとんどロボット製造工場の域をでないのである。
そうゆうわけだから、たとえわれわれが西洋の学校の外形を完璧なまでに模倣することに成功したとしても、その実体は何一つつかむには到らないだろうことは明らかである。
われわれは机だの長椅子だのを買い込み、
規則や教科過程などをつくって自ら重荷を背負いこんでいるが、
そういったものは、しょせん、どんなに正確な模倣であっても、西洋の学校の模倣に過ぎない。
今日という時代の要求を少しでも理解するなら、
われわれがこれから新しくつくる学校はすべて次の諸条件を満たすようにしなければならない。
まず第一に、その諸教科が、生き生きとしてかつ多種多様であること。
次に、知性ばかりでなく感情をも養うものであること。
さらに教科がばらばらに分裂し、
あるいは不調和であるために、
青年たちの精神が引き裂かれるようなことがないこと。
そしてまた、その教育が生徒たちにとって非現実的で、抽象的で、重荷で、学校にいるわずか数時間の間しか自分たちに関係がないものにならぬこと などである。
タゴール 「教育の問題」より抜粋
小さい役割しか果たしていない。
大きい役割を果たしているのは、
子供の育つ社会の生活そのものである。
西洋では、教育は実際生活から遊離しているどころか、
その不可分の一部となっている。
教育は社会のなかで生まれ、社会の中で育ち、
社会の中で生きて働いている。
そして人々が日常生活の中で話したり、
考えたり、行なったりすることにおのずとにじみでてくる
学校は、社会がその長い歴史の間に、
多くの人々がいろいろな活動をとおして獲得してきた文化を、
次の世代に伝えるひとつの手段にすぎない。
これに反し、わが国の学校は、
社会と完全に一体化しているどころか、
むしろ外側から社会におしつけられたものである。
学校の教える教科は退屈で無味乾燥であり、
憶えるのに骨が折れるばかりか、
やっと憶えたときには何の役にも立たない。
十時から四時までの間に生徒たちが詰めこみ勉強で憶えたことと、
彼らが実際暮らしている社会との間には、何一つ一致点はない。
むしろ多くの不一致点がある。
学校なるものは、ほとんどロボット製造工場の域をでないのである。
そうゆうわけだから、たとえわれわれが西洋の学校の外形を完璧なまでに模倣することに成功したとしても、その実体は何一つつかむには到らないだろうことは明らかである。
われわれは机だの長椅子だのを買い込み、
規則や教科過程などをつくって自ら重荷を背負いこんでいるが、
そういったものは、しょせん、どんなに正確な模倣であっても、西洋の学校の模倣に過ぎない。
今日という時代の要求を少しでも理解するなら、
われわれがこれから新しくつくる学校はすべて次の諸条件を満たすようにしなければならない。
まず第一に、その諸教科が、生き生きとしてかつ多種多様であること。
次に、知性ばかりでなく感情をも養うものであること。
さらに教科がばらばらに分裂し、
あるいは不調和であるために、
青年たちの精神が引き裂かれるようなことがないこと。
そしてまた、その教育が生徒たちにとって非現実的で、抽象的で、重荷で、学校にいるわずか数時間の間しか自分たちに関係がないものにならぬこと などである。
タゴール 「教育の問題」より抜粋