詩の香気と品位ということを私はいつも考える。
これを総じて気品といい、気韻というのはそれである。
これは巧みて成るものではない。
詩人その人のおのづからな香気と品位とが
そのままそれらをその詩に持ち来すのである。
ここに一輪の白薔薇がある。
その白薔薇の香気は、すでにその葉にも
トゲにも、枝にも幹にもその根にも、
充満しているのである。
決してその花にだけ、突然あの清高馥郁たる
香気が現れたのではない。
そのすべてから押し上げる香気と品位とが
すなわちその白薔薇さながらの気韻を躍動させるのである。
この充ち満ちている気韻は一枚の葉にも
わたしたちは見ることを得る。
根元より尖端に至る、
それは鮮麗な緑の気韻そのものである。
いかなる細微の、いかなる目につかぬ隅々にまで、
その心を潜めることにおいて、
おのづから我と気もつかなかった深い気韻の中に
我を見いだすであろう。
あらゆるつつましさの美徳によって。
真の、つまり気韻なるものは、
むしろこの人の目にもつかぬ奥所の美徳から
高い霊魂の香気を発してくるのである。
外に現わるるはその余香である。
薔薇の気品は、ひとまずその根において
完備しつくされている故からの気品である。
美と均整とによって。
北原白秋 「芸術の円光」より抜粋
これを総じて気品といい、気韻というのはそれである。
これは巧みて成るものではない。
詩人その人のおのづからな香気と品位とが
そのままそれらをその詩に持ち来すのである。
ここに一輪の白薔薇がある。
その白薔薇の香気は、すでにその葉にも
トゲにも、枝にも幹にもその根にも、
充満しているのである。
決してその花にだけ、突然あの清高馥郁たる
香気が現れたのではない。
そのすべてから押し上げる香気と品位とが
すなわちその白薔薇さながらの気韻を躍動させるのである。
この充ち満ちている気韻は一枚の葉にも
わたしたちは見ることを得る。
根元より尖端に至る、
それは鮮麗な緑の気韻そのものである。
いかなる細微の、いかなる目につかぬ隅々にまで、
その心を潜めることにおいて、
おのづから我と気もつかなかった深い気韻の中に
我を見いだすであろう。
あらゆるつつましさの美徳によって。
真の、つまり気韻なるものは、
むしろこの人の目にもつかぬ奥所の美徳から
高い霊魂の香気を発してくるのである。
外に現わるるはその余香である。
薔薇の気品は、ひとまずその根において
完備しつくされている故からの気品である。
美と均整とによって。
北原白秋 「芸術の円光」より抜粋
Posted by おはな at
13:36
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