現代詩について 2
2008年05月06日
自分は沼に、泥沼に住んでいる
というような詩が 現代詩。
宇宙に対する不信感と誹謗に満ちた態度は
急激な変化がもたらした精神異常である。
世界を嫌っている人が書いた詩が現代詩といっても良い。
過去の詩と違っている点は、
心に描いたバラ色の夢の世界に陶酔しよう
とする欲望がまったくないことだ。
そこで。
純粋なモダニズムは宇宙をじっと見つめることにある。
それは個人的自負に満ちた態度で
自然をみるのではなく、
非個人的に、ありのままにみることである。
この見方は晴れやかで、しかも純粋であり
一点のかげりもない幻想に見られる
本当の喜びである。
現代科学が冷静に現実を分析するのと同じく
詩もまた宇宙を全体として見つめるのであり
そこに永遠の現代があるのである。
しかしながら、
実際にこれを現代的というのはナンセンスである
自然で、しかも超然とした態度でものを見ることは、
なにも特定な時代に限られたものではない。
それはありのままの大地を見ることのできる
すべての人たちに共通の時代である。
中国の詩人である李白が詩を書いたのは
千年以上もむかしのことであるが、
それでいて彼は現代的である。
彼は大きく見開いた新鮮な目で
宇宙をじっと見ていたのである。
タゴール 「現代詩について」より 抜粋
というような詩が 現代詩。
宇宙に対する不信感と誹謗に満ちた態度は
急激な変化がもたらした精神異常である。
世界を嫌っている人が書いた詩が現代詩といっても良い。
過去の詩と違っている点は、
心に描いたバラ色の夢の世界に陶酔しよう
とする欲望がまったくないことだ。
そこで。
純粋なモダニズムは宇宙をじっと見つめることにある。
それは個人的自負に満ちた態度で
自然をみるのではなく、
非個人的に、ありのままにみることである。
この見方は晴れやかで、しかも純粋であり
一点のかげりもない幻想に見られる
本当の喜びである。
現代科学が冷静に現実を分析するのと同じく
詩もまた宇宙を全体として見つめるのであり
そこに永遠の現代があるのである。
しかしながら、
実際にこれを現代的というのはナンセンスである
自然で、しかも超然とした態度でものを見ることは、
なにも特定な時代に限られたものではない。
それはありのままの大地を見ることのできる
すべての人たちに共通の時代である。
中国の詩人である李白が詩を書いたのは
千年以上もむかしのことであるが、
それでいて彼は現代的である。
彼は大きく見開いた新鮮な目で
宇宙をじっと見ていたのである。
タゴール 「現代詩について」より 抜粋
Posted by おはな
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